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9/21 ナポリ市街散策 5時起床。日記を書いていると船内放送があり、7時にナポリ着とのこと。徐々に明るくなっていく窓の外にヴェスビオが見えた。手摺りは細かい砂のようなものが一面にこびりついて滑りやすかった。よく見ると塩のように見えた。舐めてみるとやはりしょっぱい。波しぶきがかかった後乾いたのだろう。 ヴェスビオは雄大だった。2つに分かれた頂上。そして綺麗なシルエット。滑らかなコーン型の曲線。長年流れ出た溶岩が作り出した地形だ。 着岸。車のない人から降りるよう案内があった。船から下りて少し歩くと地図があったので、それに従って歩いて何かの駅に辿り着いた。どうやらケーブルカーの駅のようだ。 これから宿探しだ。まず、博物館近くのWelcom Inn Hostel。呼び鈴を押すも応答なし。留守番メッセージを解釈するに「出かけている」。次にロンプラに出ていた6 small rooms。ここはCarita広場の裏手にある。扉の呼び鈴を押して話すと、今日は満室だと言う。仕方なく次を探す。そしてついに、Garibaldi広場前のManciniに泊まることができた。それも、満室だったところをなんとか調整してもらってだった。 ナポリの道は石畳であり、そして結構坂道が多い。また、道が曲がっていたり、裏通りがあったりで道に迷いやすい。日が昇ってからは、強い日差しと暑さも加わり、この宿探しは大変疲れた。たくさん迷い、たくさん歩き回ったが、迷えば迷うだけ得るものがあるのが旅行だ。この散策で、ナポリの地図が大体頭に入った。 漸く身軽になり散策を始める。まずGaribaldi駅周辺を歩いてみた。ナポリはパレルモよりも格段に都会だ。高層ビルが多いし、交通量も多くてうるさい。道を渡るのは一苦労だ。旧市街の町並みは美しいと思ったが、それ以外はあまり綺麗とは感じなかった。大通りは騒音が激しいが、建物に挟まれた路地は狭くて暗い。 有名なピザの店Michealeで巨大なマルゲリータとビールを飲んだ(7ユーロ)。相席の韓国人と食べながら世間話をした。 それから考古学博物館へ行った(13ユーロ)。一階には夥しい数の彫像。ギリシャのものと思われる独特の姿の黒々とした銅像。そしてローマ帝国時代の彫像。全てこの近辺で発掘されたものだろう。ギリシャとローマのものは大分異なっていると思った。面白いのは、二種類の石を組み合わせて一つの像にしているもの。例えば、衣服は赤や黒の石で作り、一方頭部や手足は白い石で作って、衣服の部分にはめ込んで一つの像にしているもの。帰国したら、石の種類を覚えておくと役立ちそうだと思った。 2階にはポンペイから持ってきたモザイク画や、エロティックな壁画や異物。たいぶ過激だった。まさに挿入しようとしているところを描いた彫像や、羊と性交しようとしているものがあった。また、ペニスに翼が生えたような器や装飾品。 3階は、ポンペイが発掘に関する展示。ナポリを訪れたゲーテのポートレート、初めてポンペイが発見された様子を描いた絵、発掘現場や瓦礫を除去している写真、遺構を復元した模型等があった。また、ポンペイから影響を受けた画家の絵があった。ピカソの走る二人の女や、キリコのGladiatorsがあった。キリコは本でなんとなく見たことがある程度だったが、独特の世界観が好きになった。 また3階にはポンペイから発掘された銅製の調理器具や、ガラスやセラミックスの食器があった。また、ポンペイの家を内装していた絵が展示されていた。ギリシャ神話に関係したものが多かった。紀元元年頃に、これほど多くの絵でゴージャスに飾っていたことは驚きだった。 17時に博物館を出て、メトロのline2でメルジェリーナへやってきた。宿のスタッフのおじさんがメルジェリーナを薦めていたため。メルジェリーナはナポリの西に位置する波止場だ。たくさんのボートが並んでいる。陸から歩道が延びていて、先まで行ける。そこからヴェスビオとナポリ市街が一望できた。丁度夕陽で赤く輝いていた。 向こうに見える卵城まで歩いてみることにした。歩き出すと急にトイレに行きたくなってきたが、周りに公衆便所などなさそうなので大変だ。岸辺には高級ホテルやレストランが建ち並び、オシャレな人々が夜を楽しんでいた。場違い感があった。 景観を楽しむ余裕はなく、ひたすら我慢しながら宿までの7キロを歩いた。19時に歩き出して着いたのは20 15。20時を過ぎると店は殆ど閉まり、道は暗い。交通渋滞は相変わらず続いており、ひっきりなしにクラクションが鳴り大変うるさい。結局今日は安くて美味しいレストランは見つからなかった。なんだかナポリは自分には合わない気がする。 < 0・1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11>
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9/17 成田からローマへ。空港泊 出発の前日は終電間際まで仕事をしていた。今週は疲れた。旅行などしないで、家でゆっくり休みたいという気持ちになる。 8時、新宿発の成田エクスプレスで空港へ。外は豪雨だ。到着までの90分の間、ずっと寝ていた。空港へついた。まだ眠い。 チェックインをするために並んでいる間も、眠くて、疲労感が抜けない。ふと、「歳をとると旅行はどんどん厳しくなるな」と思った。しかし旅行だけではない。歳をとるにつれて、体力や精神といった体の全てが衰え、全ての可能性が消えていくのである。そう考えると、益々、やりたい事に向かって努力することは今のうちしかできないし、「老後にやればいいや」という考えだと後々損をするだろうと思われた。 成田から9時間半のフライトでモスクワに着いた。アエロフロートはなかなか快適だった。機内食も美味しかった。客室乗務員は鮮やかなオレンジの制服を着ている。顔立ちが濃く、背が高く、ガタイがよかった。空路は、成田から北上し、秋田の西あたりからロシア上空に入り、ハバロフスクを通過して、そのままロシア領土を通った。 空から見えたモスクワの街は、整然としていた。奇妙な形のビルや、飛び抜けて大きさが異なる建物が無く、皆同じような形をしている。それらが互いに離れて並んでいる。また木々が多い。森の少し乾燥したような黄緑色の中に、直方体のビルや、一軒やが並んでいる。森の中に広げられたザラメのように、夕日を反射して光っていた。 21時ローマ着。機内から見えたローマの市街は、オレンジの電灯が疎らに灯っており、それらが雲の加減で点滅しているようだった。それほど明かりは強くなく、ぼんやりとしていた。そして、道路に街灯が無いのかと思われた。それは等間隔に並んだ明かりが見えなかったからだ。 空港の一階は人通りが多くなく、空港で朝を待つ人々がそこそこ居たので、僕もそこに陣取り眠る事にした。しかしベンチには仕切りが付いていて横になれないため、熟睡は期待できそうもない。加えて、蚊と蝿に悩まされた。人々の中には、シートを床に直接敷いて横たわる者もあった。また、仕切られたベンチの隣席に、巨大な荷物を下ろして、それを枕代わりにしている者もあった。僕の荷物は小さく、同様にはうまくいかないと思ったが、やってみると、これが最もよく眠れた。 < 0・1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11>
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12/8 12/7 11/30 11/17 11/3 10/27 10/13
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7/18 7/18 5/30 4/11 4/4 3/28 3/14
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ジュン君とは? 引越シ編 2014 2013.10.6 ~ 2013.11.1
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5/11 4/13 4/6 3/30 3/16
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全体要旨 Ⅰ 科学の不確かさ 「科学」は普通、以下の3つの要素が混ざったもの: A 何かを突き止めた結果可能となる新しいこと、及びその実行 B 今まで突き止めたことを積み重ねた知識の集大成 C 物事を突き止めるための特殊な方法 Aについて 科学の顕著な特徴の一つは応用が効くということで、科学によって、何かを行える力を生み出すことができる。 この力の使用法によっては、結果は善悪のどちらにもなりえるが、この力自体には価値があるものと考える。 この力の使い方は科学の領分ではなく、もっと人道的な問題に属する。 Bについて 突き止められた真実こそ科学の果実であり、研究は真実を突き止めたときの興奮を味わうためにやるものだ。 科学という冒険を味わい、楽しめない限り、科学も、科学と他との関係も理解することはできない。 この高揚を伝えるのは難しいが、ある程度はできるかもしれない: 地球、太陽、宇宙…重力の例 生命のいない地球 動物と植物が共通に持つ角ばった環 細菌と人間が共通に持つタンパク質―人間と動物の近さ 原子の壮大さ 全ての世界が原子でできていること 神経活動 普通の物質はプラスとマイナスが同一の割合で纏まって出来上がっていること 自然の働きを理解しようというときには、人間の推理力が容赦なく試される。 Cについて 物事を突き止めるための方法としての科学は、「観察のみによって事実の真偽は決定される」という原則に基づいている。 このため、答えられる質問の種類は非常に限られてくるのであり、善悪については科学が踏み込む余地はない。 観察は念入りに確認し、何回も行う必要がある。また、観察にはいくつか特別な技術が必要になり、ある種の修練が必要となる。 科学のもう一つの特徴 科学におけるアイデアについて 科学の不確かさ 疑う自由の(科学以外の分野も含めた)重要性 Ⅱ 価値の不確かさ 教育、応用科学、平和等、人間が制御しなくてはいけない力は昔と比べて激増したが、その割りに成果はぱっとしない。 それは、これらの力の「使用法」が全く示されていないためである。
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<ベトナム|1|2|3|4|5|6|7|8|9|> ハノイの朝 6:45頃起床。シャワーを浴び、日記を少し書いたら、すぐに8時前になった。今日はハノイから車で2時間ほど南下したところにある、香寺のツアーに参加する。8時集合なので外へ出ると、既に添乗員が待っていた。僕以外の参加者はまだのようで、一人で車に乗っていても退屈なので周辺をうろついた。朝もまた、通りでフォーを売っていて、地元の人が食事をしている。お腹が減っていたので、食事をしていいか添乗員に聞くもノー。結局他のメンバーが到着するまでに15分くらいかかったので、十分食べる時間はあったのに…残念だ。市街は活気に溢れている。制服をばっちり着たOLらしき女が、激しいバイクの川を難無く渡り通勤していく。 レシート騒ぎ ツアーのメンバーは、西洋人7人、黒人夫婦、アジア系女性2名、そして自分の12人。バンはホテルを回って全員を乗せ終わると、目的地に向かって出発した。乗ってすぐ面白いことがあった。それを説明するために、まず僕が朝添乗員と合流したときのことを話す必要がある。添乗員に、「ツアーのレシートを出せ」と言われ、僕は気にも留めずに渡してしまったのだ。なんとなく、自分が申し込んだ本人であることを証明するものだから。ところが、西洋人の一人のおじさんは、やはり添乗員にレシートを出すように言われたけれど、断固反対したのだ。「そのレシートが、唯一支払いを証明するものだ。だから渡せない。どうしても必要なら、一度ホテルに戻って原本をコピーして、それを渡す」。添乗員も、「そのレシートがツアーの参加証になる。そのレシートを本社に送ることで、賃金がでる」。激しい言い合いの後、添乗員が折れた。凄まじかった。僕はこのおじさんの主張は当然のものであり、普段どれだけレシートに無頓着だったのかと思い知った。けれども、他のメンバーもいて、これからバンも出発しようというときに、「一度ホテルに戻って…」等とはとても迷惑で言えない。 ツアーの始まりは憂鬱に まず寄ったのはガソリンスタンド。エンジン音が消え静かな中、西洋人同士が話に花を咲かせている。国は違っても幾分か言葉が通じる、それは莫大なメリットだと感じた。一方で、言葉の拙い僕は感傷的になってしまい、話しかけようか、いやわざとらしいよな…とか無駄に考えた挙句、結局僕は僕なりに楽しめばいいさという気持ちに落ち着いた。さて、昨日は横断するのに四苦八苦した大通りも、車上から眺めるとなかなか爽快だ。ベトナムでは日本と逆で右車線を走行する。そのため、歩道側のレーンに速度の遅い車が走るようになり、内側が追い越し車線となる。自然とトラックやバス等の大型車は外側を走ることになる。このような状況では左ハンドルが便利で、もしこれが右ハンドルだったとしたら、歩道側から追い越し車線に変更する際に目視し辛いだろうと思った。 お土産売り場 一時間ほど走り、休憩となった。お土産屋らしい建物の中では、障碍者が作った工芸品を販売していた。正面玄関から入ると、障碍者が机を並べて座っており、せっせと刺繍を作っている。近くには監督がいて、指示を出している。障碍者はほとんどが先天性の奇形のようで、背骨等がフシャフシャに曲がっていた。再び車に乗る。 田園風景 周囲は広大な田や、池で、遠くに霞んで都会のビル群が見える。都市と農村が分離していく、必然的な流れを見る気持ちがした。さて、田の中に奇妙な塔のようなものがたくさん見える。墓だろうか?…むしろ豊作を祈るための祠か何かと考えたほうがしっくりする。しかし、場所によっては、その「祠」が何十と密着して乱立している。やはり墓なのだろうか?バンは農村を通り過ぎていく。この様子が面白い。道端に、田から刈り取った稲が高く積まれている。また、その稲を脱穀したものを、アスファルトの上に敷いて、天日に干している。それがアスファルトを明るい黄茶色に染めていて、とても綺麗だ。中には、道路に半分くらいせり出して米が敷かれていて、自動車はそれを避けながら通過していく。まさに今脱穀している人もおり、脱穀機から飛んでくる稲カスがバンの屋根に降り注ぐ…。 ボートに乗り換えて バンは町外れの川縁に着いた。ここからはボートに乗り換えて、約4km上流の香寺へと向かうのだ。4km?歩いていけばいいじゃないか、と思ったが、すぐに不可能だと分かった。川の両側には、石灰岩が腐食してできただろう尖った山々が連なっているし、また川の近くも、陸に見えて湿地になっている。ここを歩くのは大変だ。川の端に、また塔が見える。添乗員に聞くとやはり墓だという。それにしても、水の中に、お墓がプッカリ浮いているのを見るのは、なんとも不思議(で少し恐い)な光景だ。売り子がボートを必死に漕いで近づいてくる。そして水やらビールやらを売ろうとする。一緒に乗り合わせたフランセスがぼられていた。物売りはまるでいたずらっ子のように、笑いながら必死に漕いで離れていく。フランセスも「あの舟を追えっ!」と言っていたが、その全てがコミカルで笑った。さらに、物売りのボートは逃げているのかと思ったら、他の舟にも販売するために急いでいただけなのであった。 昼食 ボートは山の間に作られた小さな波止場に着いた。飲み物や、土産物が売られているテントを横目に登っていくと、レストランがあり、そこで昼食となった。そこでアジア系の二人と話した。彼女らはベトナム人で、ホーチミンに住んでいる。休暇を利用してハノイへ小旅行をしにきたという。ホーチミンの市場の情報やおすすめスポット等を聞いたけれど、そこまで面白くはならなかった。二人はいかにも流行という感じの服装で、バッグを持ち、ハイヒールでここまで来ていた(山道からはサンダルに履き替えていたが)。腕には化粧もキめ、タトゥーも入れている。ベトナムではお洒落は部類に入るのだと思う。これはハノイよりもホーチミンの方が経済的に豊かなことを象徴している証拠のように思えた。 山頂へ 食事が済むと、 ゴンドラ乗り場まで登山する。道の両側には屋台が並ぶが、その中で大変奇妙なものを打っている店があった。ネズミや、大きなダンゴムシ等、食べるのだろうか?ダンゴムシは金属のボウルに入れられていて、大半は丸まっているが、這い上がろうとしてはボウルを滑り落ち、シャリシャリと音を立てている…。ゴンドラからの眺めは素晴らしく、奇妙な形をした山々が広がる中、遥か遠くに一面に田が見えた。心配なのは、「落ちたらどうしよう」ということ。ゴンドラは時々急停止をし、前後にブルンブルンと揺れるものだから冷や冷やする。ゴンドラの真下には山道が続いており、両側には屋台が連なっている。帰りはこの道を下ることになる。 香寺 ゴンドラを降りると、香寺だ。それは山肌にぽっかりと空いた巨大な洞穴の中にある洞窟寺院だ。岩肌を削った碑文があり、祠があり、また奥に進むと仏像が安置してあり、お香の煙が洞窟内に充満している。洞窟の高さは30m以上はありそうで、圧巻だ。そこから、水が滴っていたり、コウモリの糞がパラパラと降ってくる。残念だったのは、天井の大部分や床がコンクリートで固められていたこと。それから、鍾乳石はほとんど先が折られてしまっていた事。とはいっても、手付けずのままで、頭上に岩が落ちてくるのも困るが。 下山 その後は、山道を下りながら、点在するパゴダを見物していく。歩きながら黒人夫婦と話した。彼らは南アフリカのモーリシャス島から来たという。そんな国があることを初めて知った。島は小さく、島央から海岸まで45分もかからないらしい。それから寿司屋がたくさんあること等。ところでこの男、なかなか裕福そうである。服やカメラだけでなく、道中立ち寄った土産屋でも結構な買い物をしていた。一体モーリシャスとはどのような場所なのだろう?道の両側には屋台が並んでいるのだが、大半が空だった。今はシーズンオフなのだろうか。時たま店がやっていて、飲み物等を売っている。その一つの店で水を買おうとすると、女の売り子はなんと、あの舟上の売り子であり、フランセスと僕は「アーッ!」と驚いた。フランセスは舟でぼられた分、値切ろうと頑張っていた。「実のところ、安く買えるかどうかはどうでもいいのさ。僕はあの手この手で値切ろうとして会話を楽しみたいんだ」。下に着くと、既に他の皆は到着していた。ホーチミンの子たちは、往復ともゴンドラだったので、相当待っていたようだった。帰りのボート上では、電話をしたり、音楽を聴いたり、都会的だ。 帰路 そうして再びバンに乗り、ハノイへと戻った。来る途中に見た、路上に散らばった稲はどうなったのだろうか?それは燃やされていた。アスファルトで乾かされた米は、既に片付けられていた。こうして、余分な稲が土の一部へと還り、明日も多分、このサイクルが繰り返されるのだ。僕はここに、農村の連続的な一連の循環を垣間見た気がする。道路という道路が煙を吐いており、街、田も、煙で包まれていた。薄暗くなってくると、さらに幻想的だった。ハノイに着くと、水上人形劇のチケットを買ったり、ホアンキエム湖を散歩しながらBIA HANOIを飲んだりして過ごした。St.Joseph教会では結婚式が行われていて、昨晩の宗教的な印象は無かった。 <ベトナム|1|2|3|4|5|6|7|8|9|>
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12/22 12/15
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2/21 2/7 6/28 ・限界を感じた。結局見た感じの「影と光」「濃淡」を模写してるだけだ。・つまり、物体そのものが描けてない。本当は、首が奥からウワッと手前に盛り上がっているが、描けない。限界だ。・そこで一旦寝かせて、次回からはまた別方向から描いてみようと思う。 6/21 ・あまり進まず。目の窪みと鼻の隆起、その間の距離を意識して手を入れた。 6/7 ・顔で大切なのは何と言っても目・鼻・口。なので、そこは強調する。・一方で、髪や台座は重要ではないのでほどほどに。 5/24 ・髪の毛に苦戦。細かく描こうとすると、一部分だけ不釣り合いに細かくなる。なので擦ってまた暈す。この繰り返しでなかなか前進せず。 5/17 4/19 ・今日は物を見る目が変わった。それまで見えていた細々としたものが、それほど重要だとは思われず、むしろ纏まった一物体として見えた。どうして、今までこう見えなかったのだろう?全く完全ではないが、なんとなく骨が分かりそうな予感がある。プチブレイクスルーかもしれない。 4/12 ・部屋で座る位置を変えたので、光の具合が前と異なる。前は後ろから当たっていたが、今度は右から。こちらの方が良いかもしれない。・首の立体感が出てきた。ここは横向きのタッチで描いていく。縦のタッチだと、丸みが出ないからだ。・台座はあまり重要でないので大まかに。 4/5 ・前は全く歯が立たなかったけど、今回は挑戦しがいのある難しさだ。上達を感じる、一方で、やはり線で描いてしまう。気づいたら輪郭を描いている。もっと面で!そして、大まかから徐々に細かくなっていく感じを意識して!・どうしても局所的な視点で描いてしまう。輪郭線がはっきりしているのがその証拠。目の部分など、他と比べてここだけやけに詳しい。髪や台座も、局所的な形に捕らわれすぎている。 3/29 今日からメディチに再挑戦する。・本物は全身だが、描くのは首上。台座部分は単なる支えであり、作品とは関係ないので描かない。・大まかに線で当たりをつけた。ある程度満足したら、面で描きつつ位置を修正していく。